円と正方形と長方形を追求する
現在、世界で起こっていることはどこかの一地域で起こっていることではない。
ある地域で、その地に住むものが殲滅された場合、次は、同じ方法を用いて、世界全土にいる人を殲滅しにかかる。このことに疑いの余地はない。
実行している彼らは、彼らの血族以外は、生きる価値がなく、この地上で生きていること自体が許されざることであり、哀れで可哀想な人以下の存在を殲滅することこそが、真に正しいことであると心から信じて、それを実行している。
これまでも、そうであったし、今もそうであり、ただ、これまで完全にそれを実行していなかっただけであり、いよいよそれを実行し、完了させる、という段階に移った。と考えて間違いない。
ただ。
彼らを非難するのは簡単だ。
だが、
彼らのその行為を支えているのは、私たち自身である、ということも真実である。
彼らの心根と同じように、自分たちが正しく、他は退けられ、生きる価値なし、と思っている部分がほんの一つでもあれば、それは、彼らを支持していることと同様である。
また、人の存在に対して、存在する価値なし、と思うところが少しでもあるならば、それもまた、確実に彼らを支持していることと同義である。
これらの他者に対する心は、真の意味で『そうではない』。
それは間違いなく、そうではない。
全ては、調和の中で生み出され、不要なもの、排除されるものなど一つもない。
全ては、完璧で、完全である。
この宇宙のすべてをそのように見ない、ということは、明らかに訂正を必要とする心がそこにある、ということに他ならない。
次の世界へ
彼らの殲滅の刃は、確実に、次は私たちに向けられる。
その殲滅の刃を無効とする方法は、私たちの心の中にある彼らの心と同じものを消滅させること以外にはない。
彼らと同じ心が訂正され、その心の全ての消滅が完了したならば、彼らは、私たちを見つけることができないだろう。
私たちは、彼らの認識の対象とはなることがなく、彼らは私たちの前を通り過ぎていく。
宇宙の完璧で、完全なるものと一つであるものは、その状態と等しく、完璧で完全であるが故である。
完璧で、完全であるものは、いかなるものからも攻撃を受けることはない。それは、その存在にそのようなものが存在しないからである。
壮大なものには、壮大なものが関わり、お互いを支え合い、さらに壮大さを拡大、発展させる。
彼らが信じる世界を共有し、殲滅の刃を信じるものは、卑小さと尊大さの世界の中で、壮大さの夢を見ながら、壮大さのそれを自分自身のものとしない。
尊大なものによって、自分は卑小であり続け、それは、尊大なものによる恩寵によって、守られて生かされていると信じる。
また、自分より卑小なものを探しては、それを忌み嫌い、退けることで、そのようにある全てが誤りであるというのに、全力で自分に恩寵を与えている尊大であるものであろうとする。
ここでいう尊大さと卑小さを信じる全ての心が、訂正の対象である。
その状態を意志し、支持する心は全て完全に訂正され、ただ、『ある』という状態へと移行し、自分たちを支えているものの壮大さの中へ融合していく。
この心の状態へと、つまり、本来の状態へと回復することが殲滅の刃から自らとすべてを安全にする方法である。
次の世界への移行に際し、それを無事越えていくための方法
円と正方形と長方形が重要になる理由はここにある。
先の記事に記した通り、円と正方形と長方形に見られる関わりにおいて、現在の混沌の状態から次の世界への移行に際し、それぞれが無事乗り越えていくためには、以下の状態が必須である。
神聖な物質と化した肉体
まず、この状態となることが求められる。
それには、
本来の自分自身
となっている必要がある。
本来の自分自身とは、何か。
が、わかっていない場合、仮に、神聖な物質と化した肉体を得たとしても、自分自身の状態がその肉体の神聖さに合致していないため、肉体と精神、意識の解離がひどくなり、肉体の神聖さに意識が耐えられず、肉体から離れざるを得ない。
そのため、
自分自身の本質とは、一体どのようなものなのか、また、その状態以外を求めることなく、ただひたすらに本来の自分自身であろうとする、という意志と行為が必要である。
仮に、本来の自分以外のものになろうとする、もしくは、本来の自分以外のものを自分自身だと誤って信じている場合、間違いなく、神聖な肉体とは同居できないため、神聖な肉体から離れざるを得ない。
神聖な肉体となった場合、その肉体と共にあるためには、それに相応しい精神、魂、意識であることが必須である。
この神聖な物質となった肉体と共に生きる状態に至る
というのは、
古代エジプトで告げられた
カーは、化身となり、
そのカーにふさわしいバーがカーとともに現れる
ということが起こることになる。
つまり、
神聖な物質となった肉体は、完全なる精神によってその状態を支えられ、永遠の時を生きることになる。
ここに、完全なる神聖なエネルギーを保持した肉体と精神の融合、すなわち半霊半物質となった、次の世界に生きるものの姿がある。
この状態は、今の世界の何ものにも影響を受けることがない、次に生きるものの姿である。
またそれは、今ここにある、それぞれの人の中にある一なる想念から授かり受けた炎を真に燃やし輝かせた結果である。
いよいよその実現の時が近づいている。
