『こと』の導く真の祈り

『こと』の導く真の祈り

神様の食べ物『祝詞(のりと)』

よく知られていることではあるが、祝詞は、基本、神様に何かお願い事をするためにあるものではない。祝詞とは、人が、神様へのお食事としての『こと』を、心から奉り、全身全霊で、捧げまつるものである。人が、神とまつわるためのものである。

この神様のお食事とは、つまり、喜びである。歓喜である。歓喜となる『こと』つまり喜びの言葉を用いて、神様のお食事をご用意するそれが祝詞である

神様は『きこしめす』という方法で召し上がる

人から奉られた『こと』を神様は、お聞きになり、それを歓喜として召し上がる。つまり、人から捧げられた喜びを自分の喜びとして、ご自身に取り入れるということをなさる。これが神様のお食事の召し上がり方である。そして、その奉られた祝詞の『こと』の喜びが、神様と一つに融合し、神様ご自身となり、さらなる大きな喜びとなることによって、人はその神様のお喜びになられたところからの、放射されたものを受け取る。それを人は、この世界では、御神徳、恩恵、恩寵、ご加護、と呼び、尊んで受け取る。

これが、人の奉る祝詞のまことの『こと』を通して、神様と関わる人のあり方の本来の状態であり、またそれが、神様に対して、人ができる最大のご奉仕の一つである。

神様は『鼻がきく』

また、神様は、祝詞を言う、というだけでは、聞こえない。召し上がることがない。理由は、そこに『こと』がないからである。

神様は、まず、その『こと』の気配をお感じになる。そこに、人の全身全霊のまことがあるところ『こと』の、その気配を感じとられ、奉られる『こと』を受け取るために、その気配のするところへお現れになる。ただし、物理的なこの世界ではない。奉られている『こと』とつながっているこの世界を超えたところの、意識の世界、その思いの世界にお現れになる。

日本語の慣用句で、『鼻がきく』と言う言葉がある。その言葉同様に、神様は、まさに、何か大事なことが、素晴らしいことが、そこに起こるということを感覚で感知され、そこに合わせて向かわれる。そして、その奉られた『こと』をきこしめす。

『こと』に導く真の祈り

そのようなわけで、祝詞は、人のできるすべての力、思い、また肉体の状態を最高の状態として用い、『こと』を宣るということが重要である。

真の祈りとは、意が宣る、意識がきちんと喜びとなっている状態に自分自身を整え、神様と喜びを通して繋がれる状態となって、『こと』としての喜びそのものとなっている意識、音、エネルギーを神様へお祀りする、ということである。

このような祝詞は、必ず、神様へと通じ、神様のお食事としての喜びである『こと』として、きこし召しくださる。すべての祝詞が、このようになれば、間違いなく、全てが変わることになるので、是非とも、実践をお願いするものである。