究極の図形
ヒエログリフ描かれているラーの口には、太陽円盤として知られる象形文字が刻まれている事がある。それは円の中央に点が打たれた図として描かれる。
古代エジプトの象形文字の意味は、おそらく、その形が何であるかを真に知るものだけに伝わるように残されたものであると考えられる。
そのように考える根拠となるものがある。古代エジプトを長きに渡り指導してきた偉大な教師”CHEQUETET ARELICH VOMALITES”は、次のように自分が指導してきたものたちに語っている。
『おー、人よ、汝、わが与うる言葉に耳を傾けよ。
それらのうちに汝は生命の精髄(エッセンス)を見出さん。
われがアメンティーのホールに戻る前、汝もいかにして光に高揚し得るかにつきて秘密中の秘密を教えらるるならん。
それらを保ちそれらを護れ。
それらを象徴もて隠せ。
しからば俗人は笑いて捨て去らん。』
『エメラルドタブレット』 第十一部より抜粋
この教えの通りに、時を経てもなお誠実に守りに守り抜いたものたちによって、その真の意味がわかるものには、明らかとなるように象徴という形態をとって残し、今に至っている。
その中で、象徴としての太陽円盤が示す形とは、まさに原初の原初、初めの初め、そして終わりなき終わりが向かう先の状態とも言える形である。
どのような理由で、それがそうだと言えるのか。
前回の記事でご紹介した図形によってそれが明らかになっている。

この図形の中心点は、すべての中心点であり、すべての源である。また、それゆえに、初めの初めでもあり、そこから、終わることがなく全てが生み出され、広がっている。その営みは、まさに永遠と呼ぶにふさわしい状態で続いていく。
この図にあるように、そこには、原初の原点、中心点があり、最初に描かれる元円もまた、そこに確かに描かれている。
この図形では、それは中央の原点の周囲にベージュ色で描かれている円になる。
以前の記事でもご紹介したが、この円は、陰陽三元の初めの円であり、この宇宙の基盤を築く最初の図形である。そして、この図形の現れによって、宇宙は完全なる調和とバランスを必然として全方位に展開していく。
このように深遠なる真の真実をたった1つの図形で象徴させ、表現している。
ひふみ神示
また、これと全く同じ象徴がひふみ神示にも記述されている。
それは◯の中に一つの点が表記されている。これはこの宇宙の中心の神を表すものとして、また、この宇宙の真の真理を表すものとして、記されている。
ひふみ神示 第一巻上つ巻 第二帖 より抜粋
早く
(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト
(かみ)心になりて呉れよ、神頼むぞよ。

ひふみ神示で示される図形
この図は、ひふみ神示では、『元(もと)』『元神(もとかみ)』などと読んだり、神の名前として記述されたり、そのまま記号として用いられたりしている。
ここでも同様に、この記号の中心点は、すべての中心点であり、すべての源である。また、それゆえに、初めの初めでもあり、そこから、終わることがなく全てが生み出され、はてしなく展開する主神の大親神を象徴する。また、陰陽三元の大元でもあり、まさに生み主の表れとしての象徴である。
このようにして、象徴は、時を経てもなお、その意味を失わず、その象徴の必要な時に現れ、それを見たものに、その象徴の真実を思い出させている。
時を経ても変わることのない非常に重要なこの図形は、αにしてΩ、一にして全て、原初の原初であると同時に終わりの終わりまでを包括している。
この図形が記されている場合、そこにその意味が付随されていると同時に、また、その力も添えられている。それが象徴の力であり、それを知るものは、その象徴を通して、真の真実と真意を知る事ができる。
この図の象徴の意味として、これは、一つの図形として描かれているが、その周囲にある全てもまた、それと同じである、という点も忘れてはならない。
忘れてはならないこと
それは、私たちが、この図を図形として描く際に行うプロセスを確認するとわかる。そのプロセスが、一体何を象徴しているのか、という点が非常に重要である。
最初に、コンパスを手に取り、真っ白な大きな紙の上にコンパスの針を置く。
この動き、プロセスが一体何なのか。
それは、中心点の現れの始まりであり、遍満せる一なる想念が現れるその身動きそのままであり、そこから初めの円、つまり、元円が立ち現れる。
ということである。
このプロセスこそ、この宇宙の成り立ちの源であり、この宇宙が偉大なる調和と完全なるバランスで生じる、まさにその様子そのものがそこにある。
そしてまた。
コンパスの針の点、そして、描かれる基礎となる大きな紙。この二つは完全に融合されているがゆえに、この壮大なプロセスを始める事ができる。
さらに。
ここに、この宇宙の支えである『空白』を見出す事ができる。そして、その大いなるものの意志によって、その想念が完全であるが故、その想念のままに完璧に展開していくプロセスそのものが、『時』として立ち現れる。
これが、神聖幾何学を通して、また、象徴を通して知ることのできる、真の真実であり、実在の有り様である。
