神聖幾何学
神聖幾何学で扱う図形は、およそ、全体の一部のみ描かれている。
その状態が完全に表わされている、と言うことは、ほぼない。意図して、そのように描かれる。
その理由は、神聖幾何学で扱う図形が持つ力にある。扱うものによって誤用される事がないよう、悪用される事がないよう、完全な形の一部をもって、その図形とされる。
図形を描くお決まりの方法
では、その完全なる形が必要なとき、その図形の完全な状態を知るためには、どのようにしたらよいか。
一部が描かれている、と言うその状態は、おおよそ、全体の片側を描き、残りの片側を、提示されている片側を頼りにして補完する、と言う方法をとる事が多い。
つまり、
上の如く、下もかくありき
は神聖幾何学を読み解くための『一つの解法』として成り立つ。と言うことになる。
神聖幾何学の図形なら、図形中央から導かれる水平線を線対象として、上下同じ図形である、と言う図形の性質を頼りにして、それが完全な形であるかどうかを判別する、と言うものである。
もし異なるならば、どこか必要な図形が、あえて、描かれていない。もし自分にそこで表わされる完全な図形が必要な場合、欠けている図形を全て書き足し、その時に必要な完全な図形を描くことが求められる、と言うことだ。
これは、先人の知恵でもあり、後世その図形の叡智を引き継ぐものに、その真実を知る、受け継ぐ資格があるかどうかの試験でもある。
もし、その資格があるならば、それを行なって証明せよ、ということだ。
図形を描くお決まりの別のやり方
上記の方法以外にもまた別のやり方がある。
それは、その図形を完成させるために必要なガイドとなる図形を全て消去し、結果現れるもののみを完成図として神聖幾何学とする、と言う手法も存在する。
これは、石膏で鋳型をとり、その型に金属などを流し込んで鋳造する方法とよく似ている。その形を作るための”鋳型”は、図形の完成とともに完全に破壊されてしまうため、それがどのようなものによって支えられていたのか、完成図からは予想することが困難である。
この場合は、完成図から、それを導き出すには、さらに上級の理解と経験が必要になる。何を頼りにその図を描くのか、自分自身で発見して、完成までを描き切らなければならない。
このような場合、そもそも神聖幾何学とは、何を支えとして描かれているものなのか、これが真にわかった状態であれば、それを手掛かりに一つづつ、描き出す事が可能である。
このように描かれる図形は、非常に重要な図形である場合が多い。つまり、人に知られることがないようにするための最大の注意を払う必要がある図形である、とはっきり宣言されていると言っていい。
もしこのような図形を描く場合、描く側は細心の注意を払い、それに取り組む日必要がある。
これまで見落とされてきたこと
上の如くかく下もありき、と言うことは、神聖幾何学の図形であるなら、必ずそうなる。が、これは、実はそうとも言い切れない。つまり必要条件ではあるが、完全なる図形として、まだ欠けている部分がある場合がある、と言うことが起こりうる。
どのようにして、それを確かめるか
神聖幾何学の図形を、平面から立体にした時、その図形が同じ図形を構成しない場合、完全とは言えないとわかる。
立体にするには、上下左右前後の三軸がいる。つまり、その立体図形には(x,y,z)の3点がそれぞれの図形構成に必要になる。平面の場合、上下だけを確認すれば完全かどうかを知る事ができると思っていたが、立体にした場合、この三軸ともに、同じ形状であること、つまり、どの軸を中心点として見ても同じ図形が現れるかどうか、と言うことになる。


その場合、非常に有名なシードオブライフ、フラワーオブライフなども、立体にすると、実は完全に必要な図形が描かれていない事がわかる。
新世紀学の書物の中で、これも非常に有名なドランヴァロ・メルキゼデク氏の著書『フラワーオブライフ』がなぜ、上下2巻になっているか、また、なぜそれぞれの表紙に異なったフラワーオブライフが描かれているのか、が分かれば、自ずとそれが意味することは明らかである。
つまり、平面で描くなら、上下だけでなく、左右についても同様に注意を払う必要がある、と言うことになる。
神聖幾何学を学ぶものは、図形を描く際にこの点についても深く考慮される事が求められる。
