2013年の秋、私が奇跡講座を知り、学習を開始してからもう気付いたら13年になりました。
この年は、ゲイリー・R・レナードさんの著書『神の使者』が日本で発売され、それを知人から勧められたことがきっかけで、奇跡講座の学びを始めました。
この奇跡講座の学びを本気で取り組んだ一番の要因は、
『死者を甦らせることは、あえて難事ではない。』
と言う一言に尽きます。
それまで、私は変性意識化において完全に体の自由を失った家族になんとかして元の状態を回復させる事ができないか、と24時間夢中で取り組んでいたときでしたので、これは間違いなく、回復に至る道に違いないと確信し、学び始めました。
奇跡講座は難解か?
奇跡講座は、マスターたちの言う通り、シンプルですが、簡単ではありません。
この意味は、奇跡講座で語られていることの本質がシンプルであると言うこと、でもそれは、その記された状態を実現する事が、やすやすとなんの苦労もなく、たやすく実現できると言う意味ではない、と言う事です。
また、使用されている文体が、二重否定や修辞疑問文を多用しているため、非常に読みにくい、わかりにくいと感じることも”難解”として感じる要因になっているようです。
奇跡講座がこれらの文体を多用する理由として、奇跡講座で記されている『エゴ』と言うものの性質から、それを採用されているのだ、と言うことは間違いないと思われます。
エゴとは、分断された認識、知覚、などによって構成された本来の自分自身ではない状態のこころ全般を指しています。
このこころの状態は、全的なものを理解することはできません。そして、それは不思議なことに、二重否定や修辞疑問文などの言葉も理解する事ができません。私たちは、二重否定や修辞疑問文を読み解くとき、その文そのものではなく、その奥にある真の意味を理解することができます。そこにある言葉ではなく、その言葉の真の意味に自分の意識を向ける事ができるためです。
断片化されたこころ自体は、その言葉のまま理解します。その奥に隠された真の意味については、無視します。この性質を利用し、私たちの意識を通じて、本来のこころの状態を回復させ、奇跡講座を学習させていきます。
そのため、断片化したこころが自分自身の本来の状態だと思い込んでいる最初の段階では、どうしても奇跡講座の内容は”難解”だと映るのです。
これが、学習を進めるうちに次第に、自然に理解できるようになり、その背後にある言葉の真の意図、真の意味をはっきりとわかるようになってきます。
自分の体験
奇跡講座は、難解で本当にそれをやる価値があるのか、やって結果は出るのか、と問われたとき、『その価値はある』、と自信を持って言えます。それは、自分自身の体験からの確信です。
確かに、学習内容を繰り返すことは苦痛のように感じるとこもありますが、それは自分本来の状態ではない自分自身のこころがそのように感じているとわかってきます。その学習の結果、私自身にどのような事が起こったのか、少しお話ししようと思います。
奇跡講座を真剣に学び、奇跡講座を中心に生活を続けて、4年が過ぎた頃、奇跡講座テキスト編の第一章にある次の状態を体験する事がありました。
46. 聖霊は最上位のコミュニケーションの媒体である。奇跡はそうした種類の親交(コニュニケーション)を含まない。なぜなら、奇跡は一時的なコニュニケーションの仕組みだからである。あなたが直接の啓示による神との原初のコミュニケーション形態に戻ったときには、奇跡の必要はなくなる。
奇跡講座テキスト編第一章より
そのとき私は、父なる神に心から祈り、父なる神にとって私の真の価値とはどのようなものなのかを見せて頂きたいと一心に心の底から祈りました。
どうしても、この奇跡講座にある状態、つまり、『死者を甦らせることは敢えて難事ではない』と言う状態になりたい、と心から願いました。
あのとき、本当に全てでそれを祈ったのを覚えています。
そして、それは起こりました。
突然、自分の視界から全てが消え、ただ父なる神だけがおられ、それ以外に何もない状態になりました。父なる神は真に全てであり、髭面の爺さんではありませんでした。そう言う形態はないのです。ただ、自分が父なる神といる、と言う事が全てでわかった状態でした。
そのとき、『どうして、これを忘れる事ができたのだろうか?』と言う疑問と同時に、全てに溢れる喜びとしか言いようのない状態だけになりました。
これは、奇跡講座を記された最初の二人が、亡くなる直前に体験した話と全く同じものだったと確信しています。二人は、心臓発作で亡くなっていますが、自分も、そのとき心臓の脈拍が200を超えるほどの状態になりました。
心臓がそのようになる理由は、この強い喜びの状態に自分の肉体、特に心臓が耐えられる構造にない、と言う事です。実際に体験して、この点は全く真実だと思っています。だから、現在の肉体のままでは、この『喜びの状態』に耐えられる構造になっていないため、肉体から離れて行かざるを得ない、と言う事になるのです。そのため、真の自由の状態、真の喜びの状態になったなら、その状態のまま、自然にこの世界を離れていくことになります。
あのとき私は、そのまま父なる神の元へ帰ることはできました。完全に自分自身を思い出し、その状態のまま本来の状態へ戻る、と言うことができる状態でした。
でも、それをしなかった。
理由は、目の前にいるこの世界で苦しんでいる兄弟姉妹を、今ここで本当に困った状態になっている、一時も誰かの助けなく生きる事ができない家族を置いて自分だけで帰る、と言うことは自分の選択になかった。
自分の全てが本来の状態に回復し、同時に完全にこの世界が消滅した状態から、少しして、そのことを思い出し、どうしたら、これまでの世界に帰る事ができるのか、考えました。
喜びの状態が長く続くと、肉体が持たず、このまま父なる神の元へ帰ることになるのは明らかでしたから、なるべく早く戻る必要があることに気づきました。
そのとき、自分が取った方法は、『肉体に意識を向ける』でした。肉体に意識を向けると、次第にその強い喜びの状態は薄れてゆき、だんだんとこれまで見ていた部屋の様子、ベッドに横たわっている家族の様子が視界に戻ってきました。
そして、これまでの見ていた世界が自分の視界となったとき、啓示の状態は消えました。
奇跡講座にある『啓示』とは、この世界の消滅です。この状態になれば、本当に、この世界は消えて無くなります。跡形もなく、消えます。もしかすると、あのとき、私自身はこの世界から消えていたのかもしれない、とも感じます。それくらい、この世界と、実在の世界は大きく異なっています。
このような自分の体験からも、奇跡講座は自分自身を思い出す事ができる非常に素晴らしいカリキュラムです。
ですが。
万人に対して、これが受け入れられるものでもない、と言うことも私は理解しています。これを徹底してやるには、それなりの決意、覚悟、そしてそれをやり抜く努力が、本当にそれを継続してやり続ける力が必要です。
それがあるならば、必ず、奇跡講座は真の自分自身を思い出すことができるように、作られています。
なので、確信を持って言えます。
奇跡講座は真の自分自身を思い出すための強力なカリキュラムである。
