2、思考という習慣によるこころの制限
こころとは、どのようなものかを理解することはとても大切なことです。
こころを理解するために、身体の組織のように考えると、とてもわかりやすくなります。
身体は小さな細胞が全体で集まって、全体として一体となることで、初めて働くことができます。どこかが欠けても、切り離されても、どちらも正常に本来の機能を果たすことはできません。切り離された一部は、生きていくことはできず、死にます。また切り離された、一部分が欠けた状態では身体は生命としての活動が困難になります。
また癌や自己免疫疾患など『病』と見られるような症状を抱えていては、全体としても、他の細胞とも、調和が取れず、身体は正常さを維持できなくなるため、この場合も生命としての活動が困難になります。
こころも同様に、個々のこころが常に全体と調和の中、連携し、ひとつとして存在すること。この状態がこころの健全な状態です。
それぞれの部分はありますが、身体もこころも共に、全体と協調し、調和し、お互いを尊敬、尊重した状態で関わり、お互いを助けあいながら動きます。このようにして存在するそれぞれは、”部分”として切り離されたものではなく、全体の一部として、全体と一体となって存在しているため、決して分けることができません。
このようにして、全体とひとつである、という状態にあるとき、こころは真に健全であり、本来の状態としての活動を行うことができます。
また、この全体とは、真にすべてであり、あらゆるものを包括している状態を指します。
思考という習慣とは
ここで、思考という習慣についてもう一度見ていきます。
私たちは多くの場合、思考なしに、この世界で生きることはできません。
そして、私たちは日常、思考と関わるときには、おおよそ思考に対して疑問を持たず、その思考は『正しい』と考えています。
ですが、思考の状態とは、実際には、非常に断片的です。その理由は、思考の生成が、ある出来事の体験の一側面から生じているという点にあります。
また、一つの思考から、別の思考への移行には、常に首尾一貫しているということはなく、何の脈絡もありません。
実際にその状態を体験するには、イメージの連想をご自身でなさると、どのくらい脈絡がないかがわかるかと思います。
それに対し、包括した全体から生まれたこころの状態によって生じたものは、連想を起こしません。
なぜなら、それは全てにおいて全てを理解し、すべての状態と一つであるため、それから外れるものも、それ以外のものも存在しないため、断片になるということが起こりません。そのため、連想が起こらないのです。
ただ、静寂という状態だけがあります。
