空(くう)について

空(くう)について
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空(くう)について

空とは、瞑想によって自分の魂の根源へと降りていった先に出会うある種の状態を指す。

空とは、相対性の状態から抜けた最初の状態であり、そのさきに、全体との融合がある。

全体との融合の前に出会う空(くう)の状態は、あくまで相対を出たところであり、まだ、その先があることを認識の片隅に置いておく必要がある。

この入り口を通過して、空(くう)の状態が深まるにつれ、自分の感覚が変容する。

光を見るものもあれば、深い光のない状態を経験するものもある。

この場合、最初の空(くう)の状態が正確で適切であれば、どちらも同じである。

というのも、この段階では、まだ表と裏がある。

空(くう)ではあるが、現れとしての空(くう)であり、体感としての面が存在するためである。

真の空(くう)は、その体験の奥にある。

重要なのは、この通過プロセスにあたり、現れる全てをこの空(くう)に還元することにある。

これができることが最重要であり、このプロセスにおいて通過を確実にするための必須条件である。

この段において、まだ、そのようなものがあるのかと思うかも知れない。

だが、実際にはそのようなことが起こる。

そして、その際に、落胆することなく、落としきれずここまで連れてきた自分の思念、残滓としてのエネルギーを全て還元することが重要である。

そして、このプロセスによって、自分の認識の状態がさらにクリアになることが体感される。

自分の認識の純度が上がるにつれ、この作業は非常にやりやすくなり、気付きが早くなる。

ここで行われるある種のエネルギーの還元を通して、さらに自然に奥へと進む事が起こる。

ここで気付かれることは、空(くう)とはまだ通過点である、という事である。これまで、空に至ることが至上の目的かのように思われていたが、そうではなかったと気づく。そして、その気付きによって、ある種の執着が手放される。

この手放された段階で、次のプロセスが開始される。

純粋な状態と出会う準備である。

この純粋な状態とは、ただ『ある』という状態である。

ここにも、様々な期待とそこに至らんとするある種の執着があることも、これまでの空(くう)での体験を通して、予測ができるため、次のプロセスはこれまでの段階よりもスムーズに感じる。

この段階において、先ほどの空(くう)の状態と同じように違和感を感じるもの全てを今自分の感覚を包んでいるものへと還元していく。

この時の、『違和感』が重要である。非常に些細な、あるかないかの認識ができるかどうかの『違和感』を還元していく。

そして、純粋に”その状態”と自分を融合していく。

ここで、ある種の壁を見出す。

自分の感覚

という壁である。

これを融合させることは、この段階ではほぼ不可能である。

そのため、焦らずに、そういうものがあること、の認識を得た上で、さらに自分を包む状態へと意識を集中していく。

しばらくすると、この状態が変容する。

自分の状態を、総じた客観的視点から分かったという状態に移行が起こる。

どこかにフォーカスのかかった状態から360度の視点で分かった感覚に移行し、その後、自分がどのような状態で存在しているのかについて、新しい認識がおとづれる。

それは、確かに今自分を包んでいる状態から自分が生じているという感覚である。

これは、体感として分かるものであり、この状態に至った段階でまず、自分の中に真の平安がおとづれる。

そして、それと同時に、圧倒的な感謝と呼ぶのが適切な感覚が自分の内側から湧き出でてくる。

その感謝とは、これまで自分がやってきたことは自分によって行われてきたものだという意識の視座が外れ、これまでの全てが、今自分を自分たらしめている圧倒的な何ものかから無限に注がれ、それによって初めて得られていたものだと全てのレベルで得心した状態である。

この状態において、今この時に生きる状態が達成されている。

この状態には、過去も未来も全てがそこに同時にある。そして、ここから全てが生じている。

ただ、

この状態に至っていようとも、おらずとも、この圧倒的に、全てに注がれる無限の状態を全ての存在は常に受け取っている。

この状態でないものは存在しない。

ただ、そうであると気づけるか、気づくことなく受け取るか。

その違いがあるのみである。

ここにおいて、見出される状態を真の『足るを知る』という。

そして、この状態が自分にとって常の状態として体感されるようになると、次第に、自分に無限に注いでいる元へと向かう。

ここから先では、空(くう)の最初にあった表と裏、自分の意識という状態は消滅し、純粋に注がれる無限そのものと融合する。

それは、純粋なよろこびである。

ここにおいて融合するよろこびは、この世界で体験されるよろこびとは違う。純粋な”状態”であり、なにものでもなく、それを『よろこび』としか表現できない状態を指す。

そこには、光も闇もなく、表も裏も体感されず、ただ、圧倒的に全てに注がれている大元の状態と融合した結果の、真の静寂の状態として体験される。

ここが真の空の空であり、全ての身魂の大元である。