
瞑想について
瞑想には、大きく分けて二種類ある。
一つは、自分の感覚から自分の感情や思考の状態を静かに観想するもの。
もう一つは、自分の感覚からそこを入り口として、自分の魂の根源へと降りていく作業を行うもの。
これら二つは、混同されやすい。
しかし、その状態は似て非なるものである。
自分の感覚から自分の感情や思考の状態を静かに観想する
自分の感覚を頼りに、自分の感情や思考の状態を静かに観想する利点は大きい。事実、客観的視点によって、自分が重大だと思う問題が実際はどのようなものなのかについて実際のところを理解することが可能になる。
そのことにより、心の不安定さ、不確かで真実でないことによるおそれから来る不安や焦燥感などは収まる。などの効果がある。
現在、このレベルでの瞑想は、自分自身に有益であることから様々な方面から活用がなされている。
自分の感覚からそこを入り口として、自分の魂の根源へと降りていく
もう一つの瞑想である、自分の感覚からそこを入り口として、自分の魂の根源へと降りていく作業を行う場合、非常に注意が必要である。
というのも、先に述べた自分の心の範囲を超えて自分の意識を拡大していくため、この世界の境界線を越えて、全く違う領域へと進むため、様々な危険が伴う。
この種類の瞑想を行う場合、必ず、瞑想者が現在どのような状態にあるかについて、理解できるものとともに行うのが賢明であり、かつ、その確認できるものは、瞑想を行う者に対して、その者が遭遇する様々な出来事に的確に対処し、万全なサポートができることが必須である。
その理由は、瞑想者が初心者の場合、(例え熟練したものであっても)自分が向かっている先の場所がどのようなものがいるところを通過しているのか、もしくは、今現在自分の近くにあるものがどのような存在か、もしくはエネルギーの状態を含めて、確認する事ができない、さらに、その空間の特性も理解して対処できることができないからである。
もし、それが適切にできない場合、その場にいる存在やエネルギーによって、何らかの不利益を生じる可能性が高い。最悪の場合、精神を崩壊させるような体験や大きく体調を崩すなどの可能性もある。
少し想像してみていただければわかることだが、何も知らない、何も見えない状態で、そこで起こる具体的な問題やトラブルに際し、対処の方法も知らず、魑魅魍魎の世界へ深く入っていくことがどれほど危険なことか、全くを持って明らかである。
瞑想に適した状態とは
では後者の瞑想に適した状態とはどのようなものなのか。具体的には、次のような状態である方を指す。
- 自分の状態を全領域ではっきりと見る事ができる、
- 自分が今置かれている状況を全レベル理解している、
- 今自分が向かっている先がどのような場所か把握している、
- 自分の意識が通過するところについても合わせて正確に把握、理解でき、全てに対処できる、
これらの状態なら全く問題はない。
もしこの状態でないなら、後者の瞑想は避けるべきと言える。
また、自分の魂の根源であるものへと辿り着きたいために行う瞑想を行う場合は、十分な注意が必要で、できる限り一人で行わずに本当に頼りになるサポーターとともに行うことを強く推奨する。
また、瞑想を使わずに自分の魂の根源にたどり着ける方法がある。この方法はその状態への体験は一歩づつ進むため、安全であり、かつ、シンプルな方法なので、尋ねられたら、私はこちらをお勧めしている。
今後、機会を見てこの方法をお伝えしていく予定なので、また興味のおありの方は、今後公開するその記事をご覧いただきたい。
