ひふみ神示における掃除洗濯の神意

掃除洗濯とは何か

ひふみ神示における掃除洗濯の神意

事実、人の持つデータ処理に関して、驚くほどの処理能力を持っているが、そのことについて、人はあまりその処理能力の認識を持っていない様に感じる。

具体的には、

人の耳には、膨大な量の様々な環境音が入ってくるが、それを聴きたいものだけを選んでそれ以外はノイズキャンセルとしてミュートしている。

人の視界において、見た情報は全て記憶領域内に格納され、その中で必要だと意識されたものや習慣によって獲得した情報処理方法によってそれらの中から選ばれ、継続した記憶として残す、という処理も行われている。

今自分が食べたいものをイメージした場合、その具体的な記憶や情報が五感を通じて思い出され、それにまつわる記憶も共に呼び出される。

そのほかにも多種多様な処理を日常、同時にいくつも通常処理として行なっているので、それが当たり前のように思われ、自分の能力を過小評価している方がほとんどと言った状態になっている。

日常のこれらの処理は、この世界で活動を行う上で必須のものもあるが、そうでないものもたくさんある。むしろ、不要であることもたくさんある。

これらの取捨選択を適切に行い、不要な処理を全てデリートする、というのがひふみ神示にある掃除洗濯である。

掃除洗濯の対象となる処理とはどの様なものか

それでは、ひふみ神示において、掃除洗濯と言われる処理とはどの様なものか、これから具体的に解説を試みてみる。

人はよろこびの子

よろこびの子として生まれた『人』という存在は、そのよろこびの子としての働き、活動ができて、初めてその子として生きることができる。

つまり、『よろこび』でないものは、人の持つものとして不要なものであり、ただ『よろこび』こそが、持つものとしてふさわしいものであることがわかる。

ここで重要なことがある。

ここでいう『よろこび』とは、嗜好のものとは異なるものである

という点である。

嗜好による2元的反応は、お筆にあるよろこびとは全く違うものである。この点が非常に重要で最も気をつけておくべきことの一つである。

お筆でいう、よろこびというのは、嬉しい、ワクワクする、高揚感などとは無縁であり、もっと根源的で、静寂であり、純度の高い対極のない状態である。

その様な状態をよろこびと呼び、その状態でない場合、掃除洗濯の対象となる自分自身の心であると考えるとわかりやすい。

先に述べたような、嬉しい、ワクワクする、高揚感などは、確かによろこびというカテゴリーに入る様に思うが、それはあくまで裏表のあるものであり、その裏の感情や感覚が伴うため、一旦はよろこびとなったとしても、それが反転し、その感覚の反対の状態を体験、体感することになる。

これがひふみ神示のいうところの『表裏ある世』というこの世界の状態を表している。

表裏があると理解し、その表裏に振り回されることなく、その奥にある真のよろこびに至らんと、今ある心の状態の処理状態を確認して、不要な処理を取り消していく。

ここに、ひふみ神示によって指示されている掃除洗濯ができた状態になる。

この状態を実現するためには、自分の日常無意識であっても、意識的であっても行なっている心の処理を見直す必要がある。

だが、

この見直しは、人の意識ではかなり難しいと言わざるを得ない。

確かに取り消しの処理を行なったと思っていても、実際は、別のフォルダに入れて同じルーチン処理を行い続けていることはよく見られる。

真にそのルーチン処理を大元からデリートし、完全に抜け出ることが重要になる。

これらの不要な処理は、主に我(エゴ)によって管理され、徹底してそれが遵守されるよう、計画実行されている。

なぜそれが可能なのか。

その理由は、その人が、我が行うそれを心から『正しい』と信じているからに他ならない。

この心の元を完全に消去できるまで、この状態は復活し、お筆にある掃除洗濯が完了し、真の『よろこび』の状態となることは難しい。

ひふみ神示にある、自身の心のいくさとは、まさにこのことを指しており、幾多の方がこの道の途中で挫折したか、我の持つ『正しさ』の前に屈したか枚挙にいとまがない。

この掃除洗濯については、奇跡講座によって幾つかの画期的な手法が公開されている。これを使うことで、驚くほど早く掃除洗濯が進む。そういう点では、非常に有効な学習方法と言えるが、その学習方法が万人向けでないというのも事実ある。

徹底したこの世界の否定と自身の正しさへの心を断つことによって、正確に内省できるよう配慮されているプログラムであり、この徹底ぶりに多くの人は我の抵抗にあって、挫折する。中には、本を窓から投げ出したくなる、という人もいると聞く。

ただ。事実、奇跡講座の学習によって、正確に学習した場合、真の天啓を得ることはできる。

ここでいう天啓とは、ひふみ神示によって示される『よろこび』の子として自分の存在を認識した状態と同じであるし、奇跡講座に書かれていることとも同様である。

実際に体験するとわかることではあるが、その状態になると、我の支配から完全に抜ける。また完全なるよろこびの状態にこの肉体が耐えられず、数日で心臓がもたなくなる。

奇跡講座の編者たちの多くが、自由を得たと語ったのち心臓発作で亡くなっているところからもこの状態になったと考えられる。

私自身も同様の体験をした。この世界が目の前から消え、ただ、そうであった状態を思い出し、それだけが見える状態になる。

この状態は、まだ初期で、おそらく、そのまま進むと肉体を離れた後、歓喜と融合した状態になって、この世界についての全てを忘れる状態になると思われる。

私の場合は、まだ母の回復を手伝っている途中であったので、その意識状態から少しずつこの世界に戻していき、その状態を続けることはしなかった。

これらの体験から、奇跡講座の手法は、実行可能な手段であると確信を持っていうことができる。

次回は、この奇跡講座の中に書かれている方法を活用して、ひふみ神示に示されている掃除洗濯の加速度を上げるための手法をお伝えしようと思う。